(中編)激動の30年を超えて“次”へ、協和木材の戦略【遠藤日雄のルポ&対論】 

(中編)激動の30年を超えて“次”へ、協和木材の戦略【遠藤日雄のルポ&対論】 

前編からつづく)国産材製材のトップ企業である協和木材(株)(東京都江東区)が福島県塙町で創業したのは、1953(昭和28)年のことだった。当初は素材生産業を営んでいたが、1963(昭和38)年に製材業に参入、1973(昭和48)年に株式会社化し、戦後復興に伴う旺盛な住宅需要に応えるべく、高品質なムク(無垢)製品の生産力を高めて業容を拡大してきた。2010(平成22)年には、JAS(日本農林規格)に準拠した乾燥材製品の安定供給体制が評価され、「第49回農林水産祭」で天皇杯(林産部門)を受賞。この時点で、同社の年間原木生産量は約16万m3に達し、国内では群を抜く存在となった。だが、同社の佐川広興・代表取締役は、過去の成功体験にとらわれることなく、新たな事業分野の開拓に挑み続けてきた。2012(平成24)年にスギ集成材の生産を開始し、翌13(平成25)年に2×4(ツーバイフォー)材の加工設備を導入、そして2016(平成28)年には山形県新庄市で集成材専用の大型工場を稼働させた。次々と“新手”を打ち続ける佐川社長の胸中には、どのような“思い”があるのか。30年以上に及ぶ親交を踏まえて、遠藤日雄・NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長が佐川社長に問いかける。

国産のムク製品で輸入製品と伍していくことの難しさを痛感

遠藤理事長

2012年に協和木材がスギ集成材の生産を開始したと聞いたとき、正直に言って大きなショックを受けた。国産ムク製品の生産でナンバーワンの企業が方針転換をしたからだ。

佐川社長

私もムク製品で必ず生き残れるという信念を持っていた。住宅用木材の加工・流通で主導権を握ったプレカット工場に対して、海外から輸入される集成材と同等の使い勝手を有するムク製品を納めることを目指してきた。

『林政ニュース』編集部

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