塙町と新庄市の工場を中核に原木消費量が60万m3に近づく
遠藤理事長が佐川社長と初めて会ったのは、1995(平成7)年の夏だった。この年の1月17日に阪神・淡路大震災が発生して多数の木造住宅が倒壊し、住宅の耐震性と使用材料の品質などが厳しく問われている時期だった。当時、森林総合研究所東北支所の経営研究室長だった遠藤理事長は、製材企業の新たなモデルを求めて、奥久慈林業地の塙町で存在感を放っていた協和木材の製材工場を訪ねたのだった。
もう約30年前になるが、協和木材の製材工場を初めて見たときの鮮烈な印象は今でも忘れない。スギとアカマツの小丸太...
『林政ニュース』編集部
1994年の創刊から早30年! 皆様の手となり足となり、最新の耳寄り情報をお届けしてまいります。
この記事は有料記事(294文字)です。
有料会員になると続きをお読みいただけます。
詳しくは下記会員プランについてをご参照ください。