(前編)100年企業の銘建工業が描く“次の戦略”【遠藤日雄のルポ&対論】

(前編)100年企業の銘建工業が描く“次の戦略”【遠藤日雄のルポ&対論】

集成材のトップメーカーである銘建工業(株)(岡山県真庭市、中島浩一郎・代表取締役社長)が昨年(2023年)、創立100周年を迎え、新たな事業展開に踏み出す段階に入った。1923年に中島材木店として産声を上げた同社は、生産アイテム(品目)を製材品から集成材、CLT(直交集成板)、木質ペレットへと広げ、バイオマス発電や中・大規模木造建築物の設計支援も手がけるなど業容を拡張してきた。同社を率いる中島浩一郎社長(72歳)は、日本集成材工業協同組合の理事長や日本CLT協会の代表理事など要職を兼務しながら、時代の先を読んだ“一手”を打ち続けている。遠藤日雄・NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長は、その中島社長に、次の100年を睨んだビジョンを聞くことにした。国内人口が減少過程に入り、住宅市場も縮小を続ける中で、中島社長の視界にはどのような未来図が映っているのか──。

「スギの値段が世界で一番安い」問題が未だに解消されていない

中島社長と遠藤理事長が初めて「対論」をしたのは今から18年前、2006年2月28日のことだった。国内最大手の集成材メーカーが国産材を本格的に利用し始めたという情報が遠藤理事長(当時は鹿児島大学教授)のもとに届き、まずは自らの目で確かめようと真庭市の本社工場を訪ねたのだった。

遠藤理事長

銘建工業の集成材加工ラインを初めて見たときの鮮烈な印象は今でも忘れない。ラミナ(集成材を構成する挽き板)が目の前をピュンピュン飛んでいくように流れていた。国際水準の加工スピードは全くレベルが違うと実感した。

中島社長

あの年の年頭の挨拶で、社員に向かって、「今年の終わりまでに集成管柱生産ラインの1割以上をスギに変える」と宣言したばかりだった。それまでは、もっぱら欧州から輸入したラミナを加工していたが、ようやく国産材もラインに乗せられるような量が揃ってきた。画期と言える年だった。

18年前の2006年2月18日に銘建工業本社工場で意見を交わす2人
遠藤

工場内を視察しながら、中島社長が「スギの値段がバカみたいに安くなっている。たぶん世界で一番安い」と嘆いていたことも心に残っている。

中島

その問題は、未だに解消されていない。業界全体でもっと突っ込んで考えなければならない課題だ。

大混乱をもたらした「ウッドショック」、今も後遺症が残る

遠藤

価格問題を考える上で、大きな教訓と反省材料を残したのが2021年を中心とした「第3次ウッドショック」で起きた木材製品価格の急騰・急落と品不足だ。どう評価しているか。

中島

ウッドショックは本当に大混乱をもたらし、とくに木材製品のユーザーには多大な迷惑をかけた。一時は2倍とか、ものによっては3倍近くまで木材製品価格が跳ね上がり、安定供給という面で大きな問題を残した。

日本の木材価格の推移(令和5年度『森林・林業白書』より)
遠藤

確かに、価格の乱高下だけでなく、納期の遅れなども目立った。

中島

残念ながら自分のことしか考えずに、目の前の儲けだけを追い求めて動く方が国内外にみられた。私共は全く価格を上げるつもりはないのに、まわりで勝手に上がっていって、ユーザーのことなどは眼中にないという感じだった。
コロナ禍や物流の停滞など複数の要因が重なって木材製品を調達しづらいという実態はあったが、必要なコストとは無関係に価格を釣り上げていった側面がある。ウッドショックを経て想定外の利益を手にした方もいるだろうが、業界の景色は大きく変わり、後遺症が今も残っている。

遠藤

予想外の利益を再投資に回して新規事業に踏み出すのならいいが、ウッドショックで手にした利益はどこに消えてしまったのかというケースも散見される。もう価格高騰はおさまったが、後遺症はどういうところへ出ているのか。

中島

何よりもユーザーからの信頼を失ったことが大きい。これを修復するには時間を要する。ウッドショックを経て、供給サイドの関係性や仕組みがかなりいびつになってしまったと感じている。

新設住宅着工戸数が50万戸にまで減るのは目に見えている

遠藤

これから先の話に移りたい。戸建て住宅が減り続けている。これから木材製品の主たる売り先をどこに求めていくか。

中島

戸建てほどではないが、貸家の着工戸数も減っており、住宅市場の縮小は構造的なものと言える。大手ハウスメーカーによると、受注物件の半分以上は2階建てから平屋に切り替わっており、その分だけ延床面積も木材利用量も減ることになる。一般消費者の住まい方が変わってきていることにも留意しなければならない。

遠藤

新たな需要先として非住宅分野に活路を求める動きがある。

中島浩一郎・銘建工業社長
中島

その方向性は間違っていないだろう。都市の木造・木質化を実現することは大きなテーマになる。問題は、都市部で木造ビルなどを建てようとしても、耐火規制が非常に厳しいことだ。現実的には、木材と他の材料とを組み合わせた複合資材にしないと構造材として使えない。これではコストアップになるし、解体・廃棄もやりづらくなる。まだまだクリアすべき課題が多い。
いずれにしても、年間約80万戸という新設住宅着工戸数が20年もしたら50万戸に減ることは目に見えている。その中で、今までと同じ仕事を続けられるのか。商品構成などを含めて、根本的に見直していかなければならない。

プレカットに匹敵するような革新的技術で新たな価値創造へ

遠藤

昨年(2023年)5月19日に開催された日集協創立60周年記念行事の挨拶で、「現在の組合員数は70だが、一番多かった1996年は250を超えていた」とした上で、「新しい価値を提供していかないと5年先はない」と強調したことにも中島社長の強い危機意識が表れていた。

中島

私は、1970年代の終わり頃に日集協の一員に加えていただいたが、当時のメンバーはもう総替わりした。廃業や倒産した同業者も少なくない。とくに、和室の減少に伴って造作用集成材のマーケットが大きく縮小した。需要が減るときは、一気に減るということだ。

遠藤

今後の展望を切り拓く上で、何かヒントになるような事例はないか。

中島

この約30 年くらいを振り返ると、プレカットの普及が革新的だった。今やプレカットなしでは、木造住宅の供給は考えられない。

プレカット材が日常的に見られるようになった
遠藤

協和木材(株)の佐川広興社長も、プレカットが「国産材業界に地殻変動のような影響を与えた」と話していた。

中島

プレカットによって木材業界の仕事の仕方はガラッと変わった。製材品も集成材も合板もプレカット工場に納めることを前提に生産体制を敷くようになった。
これくらいの衝撃度を持つ仕組みが簡単にできるわけはないが、これまでの切り口を全く変えるようなことを考えないと、木材業界は生き残っていけなくなる。今の延長線上ではない発想が必要だ。(中編につづく)

(2024年5月24日取材)

(トップ画像=銘建工業本社工場の内部、2006年2月18日撮影)

遠藤日雄(えんどう・くさお)

NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長 1949(昭和24)年7月4日、北海道函館市生まれ。 九州大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士(九州大学)。専門は森林政策学。 農林水産省森林総合研究所東北支所・経営研究室長、同森林総合研究所(筑波研究学園都市)経営組織研究室長、(独)森林総合研究所・林業経営/政策研究領域チーム長、鹿児島大学教授を経て現在に至る。 2006年3月から隔週刊『林政ニュース』(日本林業調査会(J-FIC)発行)で「遠藤日雄のルポ&対論」を一度も休まず連載中。 『「第3次ウッドショック」は何をもたらしたのか』(全国林業改良普及協会発行)、『木づかい新時代』(日本林業調査会(J-FIC)発行)など著書多数。

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