(前編)中川勝弘・中川木材産業社長と“万博”を読み解く【遠藤日雄のルポ&対論】

4月13日に大阪府大阪市の夢洲(ゆめしま)で幕を開けた「大阪・関西万博」(2025年日本国際博覧会)が賑わいをみせている。開幕前は、建設費の高騰や海外パビリオンの建設遅延などが目立ち、万博の存在意義そのものが問われる場面もあったが、蓋を開けてみると連日多くの人々が訪れ、開幕から44日目の5月26日には、早くも来場者数が500万人を突破した。
その万博会場で一際注目されているのが木材の活用だ。シンボルである「大屋根リング」(木のリング)が世界最大級の木造建築物として建設されただけでなく、各国のパビリオンなどにも様々な木材が用いられている。そこには、これから国産材の需要を拡大する上で重要なヒントがあるはずだ──こう考えた遠藤日雄・NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長は、万博と木材の関わりに精通しているある経営者の話を聞くことにした。その人物とは、中川木材産業(株)(大阪府堺市)の中川勝弘・代表取締役社長。1911(明治44)年に創業した同社は、関西の木材業界を代表する企業として社歴を重ね、現在はウッドデッキをはじめとするDIY商品やエクステリア施工、土木・仮設材などの幅広いアイテムやサービスを手がけている。「大阪・関西万博」の会場整備参加サプライヤーでもある。その“100年企業”を率いる中川社長は、1970(昭和45)年に大阪府吹田市でアジア初の「大阪万博」が開催されたときから一貫してビッグイベントにおける木材利用の推進に注力している。業界屈指のエキスパートである中川社長の眼に、“2つの万博”はどのように映っているのか。遠藤理事長が問いかけていく。

55年前のアジア初「大阪万博」では協会職員として運営担う

遠藤理事長

「大阪・関西万博」は、林業・木材産業関係者にとっても見どころ満載のようだ。そのポイントを聞いていきたいが、中川社長は55年前に開催された「大阪万博」にも深い関わりを持っていると聞いている。どのような経緯(いきさつ)があったのか。

中川社長

「大阪万博」が開催されたとき、私はまだ大学生で、日本万国博覧会協会にアルバイトとして入り、運営業務のサポートをしていた。すると、一生懸命やっていたことが評価されたのか、協会の職員に採用するということになり、「大阪万博」の閉幕後も残務整理などに従事し、約1年間にわたって万博協会で働いた。これが私の人生にとって非常に大きな経験になった。

中川勝弘・中川木材産業社長(同社のホームページから)
遠藤

アルバイトから職員に登用されるとは、相当仕事ぶりが抜きん出ていたのだろう。
ところで、記録によると、「大阪万博」には約120万人の外国人が来場し、入場者全体の約2%を占めたという。これに対し、今回の「大阪・関西万博」における外国人の来場者は約350万人で全体の12%程度を占めると見込まれている。半世紀を経て、日本と世界の“フラット化”が進んでいることがわかる。

中川

個人的なエピソードだが、「大阪万博」の会期中に、インドネシアパビリオンの方々からインドネシア語を教えてもらい、約1か月でマスターしたら表彰されたことが印象深い思い出となっている。私は、当社に入る前に総合商社に勤めて、インドネシアに2年間駐在した。そのときには、「大阪万博」で学んだインドネシア語が大いに役に立った。

1970年の「大阪万博」で協会本部から見る太陽の塔(画像提供:中川勝弘氏)

ビッグイベントでの木材利用に注力、テーマパークも木質化

遠藤

「大阪万博」での経験は、中川木材産業に入社し、社長業をこなす中で、どのような“糧(かて)”になっているのか。

中川

万博や見本市のようなビッグイベントに関わりながら木材利用を進めることをライフワークのようにしてきた。
「大阪万博」の後、1981(昭和56)年の「神戸ポートアイランド博覧会」では、メイン展示の1つとなった世界最大級の丸太輪切りに関する施工工事を受注した。これがきっかけとなり、1990(平成2)年に大阪市で開催された「花博」(国際花と緑の博覧会)では、数多くの屋外用木造施設の工事をさせていただいた。1994(平成6)年の和歌山市における「リゾート博」(JAPAN EXPO 世界リゾート博)では、大量のウッドデッキや木歩道などを施工して協会マークも利用できるようになった。
2001(平成13)年に大阪市で開園した大型テーマパークでは、屋外の木造構築物の大半を当社で企画・設計・施工させていただいた。大型テーマパークの施設のほとんどで木材を使うというのは画期的なことであり、私の仕事人生にとっても1つの集大成になったと言える。

会場内の木材使用量が大きく増え、注目のパビリオンが続々

遠藤

それだけのキャリアを重ねてきた中川社長にとって、55年前の「大阪万博」と今回の「大阪・関西万博」との最大の違いは何か。

中川

最も大きな違いは、木材の使用量が圧倒的に増えていることだ。「大阪万博」のときは、日本のパビリオンは木材をほとんど使っていなかった。国内の中堅企業が連携して建てた生活産業館で、内装にヒノキの柱をデザイン的に使っていたくらいだ。ところが、海外のパビリオンは、木材をたくさん使っていた。私が調べた限りでも、9つのパビリオンが木材をメインに使用していた。
それが今回の「大阪・関西万博」では、木材がふんだんに、当たり前のように使われている。日本政府のパビリオン(日本館)もスギのCLTを構造耐力の必要な内外壁に用いている*1

遠藤

海外のパビリオンも木材を積極的に使っているようだが、中川社長の目に留まったものを教えて欲しい。

中川

いろいろあるが、ドイツのパビリオンは、円形の木造建築物が7棟並ぶ独特の構成で、敷地の奥には曲線を描くウッドデッキが樹木の間を縫うように配置されている(トップ画像参照)。使用している木材は、ドイツ産のCLTや日本のスギ、合板など多様で、木材の国際的な活用を象徴しているパビリオンと言えるだろう。
また、バーレーンのパビリオンは木造4階建てで、複雑な木組みで柱を微妙に傾けるなど交易船を模したデザインとなっている。とにかく木にこだわった建物で、階段の手摺やカーテンレールまで木製だ。
驚かされたのはイタリアのパビリオンで、鉄骨に木材を取り付けた構造だと思っていたら、純粋な木造3階建てだった。内部は木材の構造がそのまま見える設計となっており、筋交いや、柱と梁をつなぐ火打材までも意匠として堂々と露出されている。
オーストリアのパビリオンでは、同国産のスプルースをビスで固定する木製スラットと呼ばれる手法を採用している。接着せずにビス留めすることで構造全体が分解可能で再利用もしやすいということだ。

バーレーンパビリオンの外観(画像提供:中川勝弘氏)
イタリアパビリオンの外観(画像提供:中川勝弘氏)
オーストリアパビリオンの外観(画像提供:中川勝弘氏)
遠藤

目移りするようなパビリオンばかりだが、なぜこんなに木材が使われるようになったのか。

中川

結論から言おう。根底にあるのは、プラグマティズム(pragmatism)だ。(後編につづく)

(2025年5月29日取材)

遠藤日雄(えんどう・くさお)

NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長 1949(昭和24)年7月4日、北海道函館市生まれ。 九州大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士(九州大学)。専門は森林政策学。 農林水産省森林総合研究所東北支所・経営研究室長、同森林総合研究所(筑波研究学園都市)経営組織研究室長、(独)森林総合研究所・林業経営/政策研究領域チーム長、鹿児島大学教授を経て現在に至る。 2006年3月から隔週刊『林政ニュース』(日本林業調査会(J-FIC)発行)で「遠藤日雄のルポ&対論」を一度も休まず連載中。 『「第3次ウッドショック」は何をもたらしたのか』(全国林業改良普及協会発行)、『木づかい新時代』(日本林業調査会(J-FIC)発行)など著書多数。

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