国産広葉樹製材で一頭地を抜く八幡平市の中川原商店【突撃レポート】

国産広葉樹製材で一頭地を抜く八幡平市の中川原商店【突撃レポート】

国産広葉樹材へのニーズが高まっている。だが多種多様な広葉樹の原木(丸太)を集め、注文に応じて加工し、適時・適量に供給し続けることは至難の業だ。それを実現している会社が岩手県にある。八幡平市の(株)中川原商店(中川原繁社長)だ。

80年前に木炭集荷問屋として創業、“本場”の岩手で№2に

今回の取材は、のっけから強烈なストレートパンチを食らった。中川原商店を訪ねると、いきなり中川原社長から、「うちは基本的に取材拒否なんだ。先日も1件、お断りしたんだよ」と言われてしまった。しかし、これで「すみませんでした」と引き下がっては、当方も仕事にならない。広告目当てなどではないことを縷々説明し、同行者にも業界内での客観的評価等を伝えてもらった上で、取材OKとなった。

同社は、中川原社長の先代が80年前に創業した戦前生まれの会社だ。事業開始時は、木炭の集荷問屋だった。全国一の木炭産地である岩手県から、良質な木炭を関東方面へ出荷することで事業の礎を築いた。創業時は、県内5か所で集荷し、岩手県では2番目の規模だったという。

燃料革命を機に製材業へ転身、ブナ材からロシア材へシフト

木炭問屋として順調に成長した中川原商店だったが、戦後になると燃料革命で木炭がぱったりと売れなくなった。そこで、1965年に製材業へ転身を図ることにした。だが、この地域にはすでに12~13社の針葉樹製材工場があり、しのぎを削っていた。当然のように、新たな製材工場の建設には反対する。

そこで同社は、回りに迷惑をかけないようにと、小規模な製材工場が2つしかなかった広葉樹製材を始めることにした。ブナの主産地だったこともあり、丸太集荷のメインにブナを位置づけ、製材工場を稼働させた。しかし、次第に原木が枯...

『林政ニュース』編集部

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