(後編)唯一無二のユニークカンパニーを目指す紅中【遠藤日雄のルポ&対論】

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中編からつづく)(株)紅中(大阪府大阪市、中村晃輔・代表取締役社長)は、今年(2025(令和7)年)6月に75周年記念式典を開催した。同社が発足したのは、1948(昭和23)年のこと。創業者の中村正作氏が京都の二条駅近くで、べニア板を扱う「紅中商会」を立ち上げ、3年後の1951(昭和26)年には株式会社化した。以降、関東にも進出し、インテリアやサッシ、家具の製造・販売も手がけるなど「ものづくり企業」としての側面を強めていった。平成に入ってからは、前社長の中村暢秀氏(現在は名誉会長)から3代目で現社長の中村晃輔氏にバトンをつなぐ中で、デザイン部門を強化するなど「空間創造企業」としての色彩を濃くし、現在はオンリーワンの「ユニークカンパニー」を目指して新規プロジェクトを進めている。
同社は、いわゆる老舗企業の“型”にはまらない自由な社風を持ち味としており、常に変貌を遂げようとしている。では、この先にはどのような未来図が描かれているのか。遠藤日雄・NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長が問いかける。

源流・川上をもっと理解しないと川下のニーズに応えられない

遠藤理事長

長い社歴を有する紅中のトップから「森や山のことをよく知らない」という言葉が出るとは意外だ。

中村社長

弊社に対する一般的なイメージは、建材商社というものだろう。それは間違いではなく、180億円余の年商のうち、メインとなっているのは合板や住宅資材、産業資材などの販売事業だ。次いで、住宅設備機器やリフォーム関連事業、オリジナル製品の開発・製造事業などが主力となっている。
合板屋としてスタートした弊社は、今でこそ複合的なビジネスを展開しているが、森や山とダイレクトに接する機会は少なかった。もっと源流のこと、川上のことを理解しないと、川下のユーザーに質の高いサービスを提供できないという問題意識は、ずっと抱えていた。

熊本県湯前町と協働し森林づくりや大径材の有効利用進める

遠藤

これまでに、森や川上への接近度を高めるような取り組みは行ってきているのか。

中村

もう10年以上前からのプロジェクトになるが、熊本県の湯前町から産出される地域材の利用を進めており、徐々に軌道に乗ってきている。

遠藤

そのプロジェクトは、どのようなものなのか。

中村

設立60周年を迎えた2011年に、熊本県と湯前町及び弊社で協定書を取り交わし、「くれなゐの森 ゆのまえ」プロジェクトとして森林づくり活動を続けている。
また、湯前町が地域資源を活用した6次産業化を推進する方針を掲げていることを踏まえ、大径化しているスギ人工林の有効活用にも取り組んでいる。

遠藤

大径材をどう使うかは全国的な課題だ。どのように取り組んでいるのか。

中村

大径材を熱処理して製材し、製品化して新たな用途を開発する事業を一気通貫で行うことを目指している。湯前町と共同で取り組んだ「SSD球磨桧Jポスト」と「丸太状熱処理併用中温域複合乾燥法を用いた芯去り製材による大径材活用技術」は、2016年のウッドデザイン賞を受賞した。

ウッドデザイン賞を受賞した「SSD球磨桧Jポスト」
遠藤

大径材を住宅の構造材として活かそうというわけか。

中村

それに加えて、今は大径材をフローリングや腰板などの内装材、サイディング(外壁材)、木製サッシの芯材などに幅広く利用するようにしている。まだ使用量としては、年間1,500m3程度だが、森林づくり活動とともに継続していきたい。

スギ大径材を内装材(上)やサイディング(外壁材)に活用

1,000人を目標にエントリーを受け付け、面談中心に選考

遠藤

ところで、紅中は求人活動でもユニークな取り組みをしていると聞いた。どのようなことをやっているのか。

中村

できるだけ広い間口で社員を募集するようにしており、年間に1,000人以上を目標にエントリーを受け付けている。

遠藤

目標1,000人! そんなに多くのエントリーにどう対応しているのか。

中村

弊社の入社選考は、面談中心に行っている。インターンシップやワークショップ、体験イベントなどの機会を利用して、入社希望者と弊社の若手社員らがフランクに会話するようにしている。面談というより、お喋りをしているような感じだ(笑)

遠藤

人事担当者が入社の動機などを質問するのではないのか。

中村

弊社の場合は、社員全員が採用担当者という位置づけになっており、それが社員のモチベーションアップにもつながっている。
フランクに会話をする目的は、入社後のミスマッチをなくすためだ。弊社の経営理念に共感し、高い志を持って入社しても、日々の仕事ではメーカーへの納材に追われるといった厳しい現実が待っている。弊社の等身大の姿を理解してもらうためには、会話を重ねるしかない。

遠藤

最終的な面接は、中村社長が行うのか。

中村

そうだ。私が最終面接をするまでに、7回くらい様々な社員との面談を行っており、志望動機などが整理されている。
最終面接は1時間半から2時間くらいをかけて、世間話も交えながら入社後のイメージを共有できるようにしている。面と向かって話していると、この人はこんな仕事ができそうだなとか適性が見えてくる。

遠藤

紅中の社員数はどれくらいなのか。

中村

本社単体で約180名、3つのグループ会社を合わせると350名くらいになる。これ以上社員を増やして、会社の規模を大きくしようとは全く考えていない。

規模の拡大は追わずに「求められるものを直接売っていく」

遠藤

そうなのか。たいていの経営者は、規模拡大を目指すものだが。

中村

小粒でもいいから社員みんなが自由に楽しく働ける場をつくりたい。それを可能にするようなグループ会社ができるのは構わないが、単体の会社を大きくして、誰が何をやっているのかわからないような状態にはしたくない。

遠藤

中村社長のような若い経営者からそうした構想が聞けることに時代の変化を感じる。

中村

もともと弊社は、既成の枠組みに縛られず、新しい挑戦を歓迎するところがある。
今年6月に75周年記念式典を行ったが、その前史があり、祖父の中村正作は旧制中学校を卒業後、親戚の呉服屋へ養子に出され、1935(昭和10)年に23歳で独立した。だが、資金はないし、思うような仕入れはできない。そこで、京都の裕福な家を回り、欲しいものを聞き出してから仕入れるという個別訪問販売に活路を見出した。
求められるものを求める人に直接売っていくという弊社の根本がここから培われてきた。

遠藤

創業時から新たなビジネスモデルにチャレンジしていたのか。
最後に聞きたい。「紅中」という社名はとても印象的だが、何に由来しているのか。

中村

諸説あるが、伊藤忠商事(株)や丸紅(株)の創業者である伊藤忠兵衛氏が中村正作と同郷であり、伊藤忠商事の昔の屋号である「紅忠」にあこがれて「紅中」と名づけたと言われている。「中」の文字には、仕入れ先と販売先のどちらにも偏らず、中庸の存在でありたいという思いが込められている。この志を継承しながら、新たな事業に向かっていきたい。

(2025年9月5日取材)

(トップ画像=持論を語る中村晃輔・紅中社長(左))

遠藤日雄(えんどう・くさお)

NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長 1949(昭和24)年7月4日、北海道函館市生まれ。 九州大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士(九州大学)。専門は森林政策学。 農林水産省森林総合研究所東北支所・経営研究室長、同森林総合研究所(筑波研究学園都市)経営組織研究室長、(独)森林総合研究所・林業経営/政策研究領域チーム長、鹿児島大学教授を経て現在に至る。 2006年3月から隔週刊『林政ニュース』(日本林業調査会(J-FIC)発行)で「遠藤日雄のルポ&対論」を一度も休まず連載中。 『「第3次ウッドショック」は何をもたらしたのか』(全国林業改良普及協会発行)、『木づかい新時代』(日本林業調査会(J-FIC)発行)など著書多数。

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