【寄稿・前編】「林業」と小学校社会科の教科書について──林野庁長官 青山豊久

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【寄稿・前編】「林業」と小学校社会科の教科書について──林野庁長官 青山豊久

7月4日付けで林野庁長官に就任した青山豊久氏から「学習指導要領に関して思うところがある」との連絡をいただいた。青山氏がかねてから取り組んでいる課題について、「林業関係者の皆さんと問題意識を共有したい」という。その青山氏に、今の“思い”を寄稿していただいた。

1.はじめに――意識の奥深いところにあるもの

皆さんは小学生のときに教科書で習ったことを覚えているだろうか。

私は令和5(2023)年の現在、58歳。昭和46(1971)年に小学校に入学し、昭和52(1977)年に中学校に入学した。小学生の時に、農業や漁業と並んで林業について学んだ……らしい。記憶はほとんどないが、当時適用されていた学習指導要領にはそう書いてある。小学2年生の社会科の教科書で木こりの話を読み、5年生の教科書では林業のことが書かれていた……はずである。

教科書を作る会社はいくつかあるので、全国の同学年の小学生がみんな同じ教科書を使うことはないが、どの会社も文部省の学習指導要領に沿って教科書を作るので、同学年の者は、同じ内容を教科書から学んでいるのである。

しかし、私と同じ内容を学んだのは4学年下まで、5学年下の昭和44(1969)年4月以降に生まれた人たちは、小学校社会科の教科書で林業を学んでいない。学習指導要領から「林業」が消えたからである。この学習指導要領は12年間使われたので、この世代はすっぽりと「林業」のことを学んでいないのである。

そして、昭和56(1981)年4月以降生まれの人たちから、次の学習指導要領の適用が始まり、小学5年生の社会科で「森林」について学び始める。だが、復活したのは、「林業」ではなく、「森林資源の保護」だった。

何を大げさに、たかが初等の義務教育の一部ではないか、どれほどの意味があるのか、自身も学んだ記憶はないと言っているではないかと、いぶかしがる人もいるだろう。でも私は、あるときから義務教育の重要性に気づかされた。歳を重ねて失う記憶も多いが、意識の奥深いところで社会としてひとつの認識を共有していることに意味があるのである。何かの選択を行う際に無意識のうちにこれを左右させている価値観が、教育の初期の段階で作られていることをもっと意識する必要がある。

こうしたことを私に気づかせてくれたきっかけを紹介し、小学校教育における森林・林業の位置づけの変遷とこれからの社会に対するささやかな考察を述べてみたい。

2.教科書の違いで世代の消費傾向は一変する

私が学習指導要領に着目するきっかけを与えてくれた名著がある。平成15(2003)年に出版された岩村暢子さんの『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房)である。

広告代理店大手のアサツーディ・ケイに勤務する岩村さんは、家庭の食卓の激変ぶりを追いかけていた。食の変化といえば、「女性の高学歴化」「女性の社会進出」「生活時間の夜型化」などが定説として語られていた当時、マーケティングの視点から、さらなる真の理由を探求するため、昭和35(1960)年以降生まれの主婦の実際の食卓を丹念に調べていたのである。

111世帯の主婦と面談を重ね、2,331の食卓日誌、4,000枚以上の写真から、食に対する価値観や感覚について、ある年齢を境に明らかな断層があることを発見する。それは40代や30代主婦といった従来のマーケティングの区切りではなく、平成14(2002)年時点の年齢で43歳前後と34歳前後に2つの断層があることに気づく。

43歳より上の世代の主婦は手作りや美味しさにこだわる一方、43歳から下の主婦は「栄養・機能指向」が強く、ひとつひとつの食材を栄養素に還元して捉えており、さらに34歳から下の主婦は、食材や調理に対する基本的な技術が少ない中で、パンやお菓子作りを楽しむ傾向があることを把握する。そして、この断層の位置は、調査年とともに毎年1歳ずつ上がっていたのである。

岩村さんは、面談を重ねる一方で、戦後50余年の中学・高校の家庭科の主要教科書をすべて読み込み、分析する。その結果、これらの断層は、中学校で受けてきた家庭科教育と密接な関係があり、断層の位置は、学習指導要領の改訂に伴う教科書の変更時期と一致するという結論にたどり着く。「いま時の主婦は」と非難されてきた食に関する事象も、実は多くが中学校教育で教えられた通りではないかという認識に達するのである。

多くの人々が「学校で習ったことなんか」と思っている以上に、全国一斉の「教科書」や「学校教育」はその後の社会や人の生き方に大きな影響を与えているのではないかというのが、岩村さんがたどり着いた結論だった。これは、机上から生まれたものではなく、現場での丹念なフィールドワークと膨大な教科書の読み込みに基づいたものであり、我が国現代社会における食の傾向についての大発見であったと私は思っている。

3.学習指導要領から「林業」が消えた

平成27(2015)年夏、私は出向先から戻り林野庁の林政課長に異動した。

当時、庁内の木材利用課では、小学校の総合学習で木育を取り上げてもらおうと、副教材の制作に励んでいた。当時の今井敏林野庁長官から「自分が入省したころ、学習指導要領から『林業』が消えたと大騒ぎになっていた」という昔話を聞く。

岩村さんとの交流を通じて学習指導要領の重要性を学んだ自分にとって、インターネットで過去の原本に当たることは、当然だった。戦後の小学校学習指導要領の改訂にすべて当たり、小学校の社会科の教科書にどのような変更があったのかを調べた。大げさに聞こえるかもしれないが、学習指導要領はおおよそ10年に一度の改訂なので、戦後からすべての改訂と言っても8回の改訂を調べるだけであっという間に現在までたどり着けるのである。

現代人の食の傾向を確認するためには、中学校家庭科の学習指導要領の大量な記述を読み込む必要があったが、それに較べると、小学校の社会科で林業が教えられていた経過を調べるのは、実に短時間のうちに終わった。

今井長官が言っていた入省当時の騒動というのは、昭和52年に改訂され昭和55年(1980)年から教科書への適用が始まった学習指導要領のことだった。(後編につづく)

(2023年8月18日原稿受領)

青山豊久(あおやま・とよひさ)

1965(昭和40)年3月12日生まれ。岐阜県多治見市出身。1988(昭和63)年に東京大学法学部を卒業後、農林水産省に入省。林野庁林政部林政課長、大臣官房秘書課長、大臣官房技術総括審議官兼農林水産技術会議事務局長などを経て、2022(令和4)年6月から農村振興局長をつとめ、2023(令和5)年7月に林野庁長官に就任*1

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