長官昇格の耳打ちがあったのは発表前日の夕刻
それにしても8月6日付けの林野庁人事には驚かされた。昨年(2025年)7月から長官をつとめてきた小坂善太郎氏(昭和63年入庁・名古屋大林卒)の勇退は織り込み済みだったが、まさか後任に国有林野部長の長崎屋圭太氏(平成4年・京大林)を起用するとは予想だにしなかった。
鈴木農相がこの人事を発表したのは、7月31日の閣議後記者会見だった。当の長崎屋氏に長官昇格の耳打ち(内々示)があったのは、前日(7月30日)の夕刻だったという。それまでは「次は次長か」と心構えをしていたのだが、一気に飛び越えてトップへ発令された。本人が一番驚いたことだろう。
事務官のエース起用から「たすき掛け」が慣例に
1949(昭和24)年5月31日に発足した林野庁の初代長官は、技官の三浦辰雄氏がつとめた。以降、14代にわたって技官長官が続き、さながら独立王国のような観を呈していたが、1984(昭和59)年7月に事務官のエースと言われた角道謙一氏が長官に就任。角道氏は、長官を4か月つとめただけで本命ポストの事務次官に昇格し、ワンポイント的な起用ではあったが、これ以降は「たすき掛け人事」が繰り返されることになった
事務官が長官に就くようになった背景には、特別会計で運営していた国有林野事業の赤字問題などがあり、技官にすべて任せ切っていいのかというチェック機能も働いたようだ。
それはともかく、2008(平成20)年9月に事故米不正転売問題への対応で、長官が井出道雄氏(昭和50年・東大法)から内藤邦男氏(昭和52年・東大法)へと事務官でリレーされたことはあったが、これはあくまでも緊急事態の措置。通常であれば、小坂氏の次の長官は事務官になるはずだった。
では、なぜ今回は、技官から技官へという異例のリレーになったのか。
「技官が評価され、なかでも長崎屋さんが評価された」
その問いを巡る関係者の話を総合すると、「人(適任者)がいない」という結論に辿り着く。こう言ってしまうと身も蓋もないが、目下の農林水産行政が抱えている最大懸案は、2024(令和6)年夏頃に勃発した「令和の米騒動」から引きずっている米問題への対応であり、人材をこの部分に割かざるを得ない。加えて、このところの事務官人事では有為の人材が早期に退職するケースが目立ち、「層が薄くなっている」(関係者)という実情もある。
そうした背景があるとしても、まだ56歳の長崎屋氏を一足飛びに長官に引き上げた“力学”は何だったのか。
8月6日の辞令交付直後に長官室で引き継ぎ業務を行っていた小坂氏にこの疑問をぶつけると、「いろいろな台所事情もあるのでしょうが、技官が評価され、なかでも長崎屋さんが評価されたということでしょう」との答えが返ってきた。
長崎屋氏が“将来の長官候補”であることは誰もが認めていた。その“将来”が様々な要因のからみで“今”になったということだ。
前倒しで長官に就いた長崎屋氏には、当然、長期政権が期待される。ただ本人は、「まず地に足をつけて、現場の声を聞いていきたい」と気を引き締めているところだ。
「旧来からの枠組みにとらわれない時代になってきた」
最後に、8月6日付け人事で林野庁次長から畜産局長に栄進した谷村栄二氏(平成3年・東大経)の見方を紹介しておきたい。谷村氏も長崎屋氏の長官抜擢には「驚いた」そうだが、「旧来からの枠組みにとらわれない時代になってきたのでしょう」とも口にした。
約1年間にわたって次長をつとめた谷村氏は、「林野庁のやるべきことが広がってきていると実感した」と語る。次長室を去るにあたり、「しっかりとした技官体制をつくるとともに、(省の中枢である)大臣官房ともよく連携していって欲しい」との言葉を残した。
谷村氏が示した時代の変わり目に来ているという認識は、小坂氏も長崎屋氏も共有している。
長崎屋長官の誕生は、新しい歴史をつくり出すための号砲となる――今回の人事は、こう読み取った方がいいだろう。
(2026年8月6日取材)
(トップ画像=長官に就任した長崎屋圭太氏(左)と前長官の小坂善太郎氏、8月6日に長官室で撮影)
詠み人知らず
どこの誰かは知らないけれど…聞けないことまで聞いてくる。一体あんたら何者か? いいえ、名乗るほどの者じゃあございません。どうか探さないでおくんなさい。