(後編)地域工務店の視点から“コロナ後”を展望する【遠藤日雄の新春鼎談】

福島県 東京都 木造住宅

(前編からつづく)新型コロナウイルスの感染拡大によって生活スタイルの変容が迫られる中、国産材を活用した住宅には根強いニーズが寄せられている。それは地域工務店や林業・木材産業界にとって追い風ではあるが、同時にこれまで先送りしてきた課題の解決も迫られている。こうした問題意識を共有した遠藤日雄・NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長と(株)四季工房(福島県郡山市)の野崎進社長及び(株)風土社(東京都新宿区)の山下武秀社長による鼎談は、これまでの歩みを検証しながら将来を展望する議論へと発展していく。

素人の疑問を活かし「人と環境にやさしい家」づくりを実践

遠藤理事長

コロナ禍によって国産材を利用する意義を“原点”から見直すことが必要になっている。野崎社長の四季工房は今年で創業40周年になるそうだが、どういう経緯で住宅事業を始めたのか。

野崎社長

私は飲食業が振り出しで、一時は喫茶店やレストランを5店舗経営していた。その後、造園や外構などのエクステリア業を経て、戸建て住宅を建設するようなった。30歳のときに当社を設立し、今年で70歳になる。

遠藤

ユニークな経歴だ。それが四季工房の家づくりに反映されているわけか。

野崎

住宅に関しては全くの素人だったので、素朴な疑問をとことん追究することができた。それがよかったのかもしれない。

遠藤

住宅業界は栄枯盛衰が激しい。生き残るだけでも大変だ。

野崎

大手のハウスメーカーやビルダーと同じ土俵に乗って、向こうが坪40万円ならうちは30万円という値段だけの勝負になってしまったら駄目だ。消耗するだけで何も残らない。 そう考えていたときに、日本の伝統的な家屋や町並みの保存・継承と環境共棲住宅を提唱した吉田桂二氏(建築家、2015年死去)の業績を知り、国産材だけで「人と環境にやさしい家」をつくろうと決めた。

シックハウス問題を契機に環境・自然素材への関心が高まる

遠藤

山下社長はいつごろ風土社を立ち上げたのか。

山下社長

私は、建築関係の雑誌づくりに携わった後、1995年に風土社を創立した。今年で26年目になる。弊社の代名詞である『チルチンびと』という住宅雑誌は、1997年6月に創刊した。

季刊『チルチンびと』の最新号(第106号)では「家で働く暮らし・薪ストーブのある暮らし」を特集している
遠藤

『チルチンびと』は、どういうコンセプトでつくったのか。

山下

当時は化学物質によるシックハウス問題の解決が急務になっており、対策として国産材など自然素材で家をつくってはどうかと考えたのが出発点だった。読者対象は、家を建てるエンドユーザーと、そこに一番近いところにいる地域工務店とした。シックハウス問題に関心のある人は、環境問題に関する意識も高く、「環境共生」と「自然素材」が編集方針のキーワードになっている。

遠藤

四季工房の野崎社長とは、どのような間柄なのか。

山下

私も吉田桂二氏に大きな影響を受けている。吉田氏は常々、「1県に100棟国産材で家をつくる工務店を育成しろ。そうすれば山が1つ食える(=林業が成り立つ)」と言っていた。それだけの実力を持つ工務店を探していたときに、野崎社長の存在を知った。すでに四季工房は100%国産材の家づくりを行っていて、自然エネルギーを活用した「エアパス工法」の普及と地域工務店の組織化にも取り組んでいた。

遠藤

26年前の1995年1月に阪神・淡路大震災が起きて住宅業界は大きく変わった。ヨーロッパからホワイトウッドの集成材が大量に輸入されるようになった一方で、「東京の木で家を造る会」や「近くの木で家を造る運動」(近山運動)など地域に根差した動きも出てきた。

山下

四季工房は、近山運動が始まる前から国産材の家づくりや植林事業などを本格化させていたので、時代の先を行っていた。
四季工房の取り組みを『チルチンびと』で紹介したところ、読者から「地元の工務店に同じような家をつくって欲しいと頼んだら不可能だと断られた」という手紙が来た。これではいけないと考え、10社ぐらいの工務店に声をかけて、国産材を使った家づくりを実践するチルチンびと「地域主義工務店の会」を2003年に設立し、今では37社が加盟している。

国産材は使えないという先入観を取り除き生産体制を整備

遠藤

先駆者である野崎社長に改めて聞きたい。地域の工務店が国産材を使わない、あるいは使えない理由は何なのか。

野崎

国産材は、暴れるし狂うし手に入らないという先入観がある。しかし、昔はみんな国産材で家をつくっていた。大工さん達も修業時代はスギ、ヒノキ、マツを扱ってきている。それならば国産材100%の家づくりができないはずがない。ところが、私が創業時に国産材の利用を呼びかけたら一斉に反対された。外材の方が狂わないし、安くてすぐに入手できるというのがその理由だった。それでも粘り強く話し合いを重ねていると賛同する大工さんや材木屋さんが出てきてくれた。

遠藤

外材をプレカットした部材が全盛といえる中で、関係者の意識や仕事のやり方を変えていくのは大変だっただろう。

野崎

施工現場での手刻みによる家づくりを基本にしたのだが、関東近郊などではそのための作業スペースの確保や物流体制の見直しから着手する必要があった。
また、良質な国産材を揃えるため、伐り旬を守って葉枯らし乾燥を行うことを原則にし、福島県の平田村には天然乾燥や木材加工、体験宿泊などができる「四季 ゆいの郷」を整備した。
このほか、弊社オリジナルの木の窓や床材、室内建具などを開発し、オール国産材の家が実現できるようになった。

量は追わず丁寧な仕事を徹底、トータルかつ長期スパンで取り組む

遠藤

一口に国産材の家といっても、一朝一夕にはなしえないことがよくわかった。最後にこれまでの歩みを踏まえた上で、“コロナ後”の展望について聞きたい。

山下

『チルチンびと』を創刊した頃の年間住宅着工戸数は160万戸台だった。それが今はほぼ半分になっており、今後も減っていくだろう。一方で、環境や健康への関心は着実に高まっており、自然素材へのニーズも強い。「地域主義工務店の会」では、地元の良質な食材や雑貨などを展示販売する「チルチンびとマーケット」を各地で開催しており、多くの一般消費者が訪れる。こういう場をつくることが国産材の家づくりにつながっていくだろう。

野崎

弊社もかつては年間150~170棟くらい建てていたが、もう量を追う時代ではない。意図的に棟数は少なくしていいから、丁寧な仕事を徹底していくことが大切だ。住んでいるときの消費エネルギーが少ないだけでなく、家をつくるまでにどれだけのエネルギーを使ったかも評価する必要がある。そして、長く住み続けられる家にするために国産材を使っていく。長いスパンでトータルに家づくりを考えていくべきだ。

(2020年12月10日取材)

(トップ画像=国産のムク(無垢)材をふんだんに使った四季工房の家の内覧)

遠藤日雄(えんどう・くさお)

NPO法人活木活木(いきいき)森ネットワーク理事長 1949(昭和24)年7月4日、北海道函館市生まれ。 九州大学大学院農学研究科博士課程修了。農学博士(九州大学)。専門は森林政策学。 農林水産省森林総合研究所東北支所・経営研究室長、同森林総合研究所(筑波研究学園都市)経営組織研究室長、(独)森林総合研究所・林業経営/政策研究領域チーム長、鹿児島大学教授を経て現在に至る。 2006年3月から隔週刊『林政ニュース』(日本林業調査会(J-FIC)発行)で「遠藤日雄のルポ&対論」を一度も休まず連載中。 『「第3次ウッドショック」は何をもたらしたのか』(全国林業改良普及協会発行)、『木づかい新時代』(日本林業調査会(J-FIC)発行)など著書多数。

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