どん底時に家業に戻り、伝統産業のイメージをモダンに一新
「販売体制も生産体制もこのままでいいわけがない」――公長斎小菅の小菅達之・代表取締役副社長(40歳)はこう強調する。小菅副社長は、大学卒業後に繊維商社で約2年間経験を積み、家業である同社に入った。だが当時は、バブルが崩壊して、ピーク時から売り上げが約4割落ち込んだ「どん底のとき」。そこで、新たな販路の開拓や新商品の開発に必死に取り組んだが、「はじめはうまくいかなかった」と振り返る。
だが、入社して5年目の2009年頃に、古い伝統産業のイメージをモダンなイメージへと一新する転機が訪れた。家具デザイナーの小泉誠氏とタッグを組み、新商品をシリーズ展開するともに、ウェブサイトやECサイト(楽天市場)を立ち上げ、卸売もセレクトショップへの販路を開拓。さらに、旗艦店の京都本店をプロデュースするなど、販売チャネルを一気に多角化させてきた。
分業体制から垂直統合へシフト、竹材を適正価格で取り引き
一方で同社は、関連会社とともに竹材料の生産・調達をはじめ、垂直統合型のビジネスモデルへと舵をきっている。竹業界は分業体制が染み付いており、流通コストが嵩んで「山元還元」が進まない現状がある。小菅副社長は、「竹材業者の廃業が相次いでおり、竹材料を確保できなければ、ものづくりがストップしてしまう」と危機感を深めており、「当社は最終製品価格と流通をハンドリングできるのが強みだ。伐採事業を育て、ゆくゆくは業界全体が竹材料を適正価格で取り引きできるように一石を投じたい」と意欲を口にする。
古典と現代を融合したものづくりで竹の仕事の価値を上げる
同社は、1898年に東京日本橋で竹製品問屋として創業、宮内庁ご用達となり、大日本帝国陸軍にスキー用の竹製ストックを納品したこともある。
戦後の1949年に拠点を京都へと移し、茶道の関連道具等を販売するようになる。この頃から全国の竹職人を訪ねて、交流や技術指導を行い、オリジナル商品を開発するメーカーとして歩んできた。
小菅副社長の父である4代目の小菅八郎社長は、独学でデザインを学び、様々な商品を企画・販売。1981年にはアメリカの高級百貨店で開催されたイベントに出展し、以降、伝統的な技法を駆使した洗練されたデザインが評価され、百貨店を中心に販売ルートを拡大した。これが今の飛躍のベースになっている。
現在同社は、提携工房とともに小物から竹籠、お香まで様々な商品を展開している。その中でとくに売れ行きが好調なのは箸や弁当箱といった生活道具だ。
直営店舗やウェブサイトで独自の世界を伝えることで、一時落ち込んだ売り上げも約3億8,000万円まで回復し、2019年には東京に新店舗をオープンした。
新型コロナウイルスの影響でネット経由の買い物が主流となり、販売チャネルも複雑化するなど状況は刻々と変化している。その中で小菅副社長は、次の展望をこう描いている。「当社には竹製品をつくる独自のノウハウがある。異業種の人と連携して、創作理念の『古典と現代の融合』を守りながら、竹の仕事の価値を上げていきたい」。
『林政ニュース』編集部
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